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それからのメートル法−ヤードポンド圏からの離陸支援を− 多賀谷 宏
エピローグ
私はかつて、日本のメートル法専用化と普及促進のために広報活動を続けた半官半民の組織委員会「メートル法実行期成委員会」の仕事を手伝ったことがあり、この小論の多くはその時の体験に基づくものだが、当時この委員会は全国の地方自治体や計量関係の各種団体にも大きく援けられていた。したがって今日でも商取引、消費生活、家庭生活、スポーツなど各種民生面でのメートル法切換における様々な貴重な資料や体験記が、当時こうした活動に力を注いだこれら各都道府県計量機関・団体等に残っている筈である。
欧米諸国に比べて大きく遅れていた日本における技術的古文書や記録類の保存保管も、最近はずいぶん改善されてきたようだが、昭和期の後半におけるこうした日本各地でのメートル法切換達成を目指して進められた活動の記録資料が、そろそろ散逸をし始める時期に差し掛ってきているようである。今のうちにこうした散逸を防ぎ記録や資料を整備しておくことは日本にとってだけでなく、アメリカ・イギリスなど今後にメートル法切換を期 待したい国々にとっても有用な部分が少なくないように思える。「世代交代」効果を繰り返し強調してきた私だが、近ごろになって皮肉なことに、これにも負の効果があることを痛感している。昨今の日本ではメートル法の専用が至極あたりまえになってきて、この専用が昔から存在したかのように錯覚されるようにさえなっている。こうした負の「世代交代」のためか、もはや御用済みとばかりこの時期の貴重な記録や資料の扱いが粗雑になりつつあるように見受ける事が増えつつある。どれほど世代が交代していっても、これらの資料・記録類はぜひ分類・整理・保存し、将来いつでも活用できるよう世代交代時の適切な管理引継ぎを図ってほしいと念願している。
また私はメートル法への切換を日本という自国さえ達成できれば、もう卒業ということではなく、できることならメートル法切換達成国群で環をつくり、これから切換を果たさなけばならない国々への支援活動を進める事を、日本の国際協力の一環として提案していけたら素晴らしいことだと思っている。それがメートル法専用化の達成に努力した明治以来の先人達が残してくれた「大いなる遺産」に報いる道でもあろう。
また日本以外の国とも連携を保つことが有用で、例えば人口12億を抱えながら中国はメートル法化をこの40年で達成した実績を持っているが、その手法には目を惹くところが多い。例えば先ごろ桜井慧雄博士(学習院大学)が日本計量史学会で発表されたところによると日本の国会にあたる‘全人代’の承認を要する基本法ではSI(国際単位系)に準拠することのみを定め、羅列的な各単位の組込は下位の法令に譲って改正や追加に機動性を持たせているなど、法体系にみる限り日本よりも賢いしくみを採っているようであるし、現在も残る慣習単位(市制単位)の扱いにも人々の社会的営みへの顧慮がみられる等々、ここにも米英両国の切換支援に活用されるべき点が多々あることを示している。
アメリカを越える大きな市場を持つEUは環大西洋地域として将来を設計し、大きく育ちつつある。またその成長ぶりに激しく時代の流れを示している中国は遠からずして超大国になるであろう。こうした流れをみれば環太平洋地域の繁栄の中に、日本の将来を模索してゆくことは重要性を帯びてくる。先に「アメリカは島国か」と記したが、南北アメリカ大陸が大西洋や北極海だけでなく、太平洋にも面しているのは厳然たる事実で、こうした認識では「巨大な島国アメリカ」自体が最も早くかつ深い洞察力を持っていたと云える。それだけではない。日本から見れば環太平洋ということは中国・韓国・ロシアや東南アジア諸国(ほぼメートル圏)、さらにオセアニア諸国(ヤードポンド圏、ただしオーストラリ アは英連邦内でメートル法切換達成の一番手)をも含む、繁栄を共有すべき当事国すべて の協調の重要性をも物語っている。
また地球環境問題においても世界最大の炭酸ガス排出国(日本の約5倍)であるがためか、今ひとつ抑制活動に力が入らないアメリカとしても、この排出量の国際取引制度の活用において、将来メートル法国が圧倒的多数である国際社会での取引や活き方を模索しなければならない状況になりつつある。ならば関係国の排出量の正確な情報把握、相互の環境改善や共通改善措置量などにおいて、事前の計量単位の一元化は世界的にも喫緊の課題なのではなかろうか。こうした問題の推進のためにも各国の段階的行動計画などを貿易、産業、流通、民生、公共など部門別に詳しく検証し、問題があれば相互補完ないし支援をしていくことが大切であろう。これには組織的、継続的な実態把握調査がまず必要になるかと考えられる。ただ相手国政府の当面の国内的政治事情もあろうかと考えられるから、性急なアクションは慎んだ方が良かろう。その意味ではNPOまたはNGOなどのレベルで発足した方が政府レベルの資金援助を受けつつ、しかも摩擦の少ない進め方を採り易いかも知れない。また当事国の‘世代交替’効果を少しでも早めるためにも、そして〔情報NH〕等にみられるような、近年醸成されつつあるアメリカ・イギリスの若年層のメートル法化への親近感を一層盛り上げてゆく上からも、働きかけるこちら側も若い人達のエネルギーを結集して進めれば、なお効果が上がろう。多少なりともこのメートル法統一に関心を、お持ちいただいた方々の御一考と、なんらかの形での起動を期待してやまない。
図らずも、というか結果的にそうなってしまったというのが実態ではあるが20世紀と21世紀との二つの世紀にまたがって、アメリカとイギリスはヤードポンド法という「負の遺産」を永らく背負ってきたことになる。しかもヤードポンド法とひとくくりに称しても、その中身では英国と米国でトン、バーレル、ブッシェル、ガロン、パイント、クオート等の例でよく知られているように両国間に少なくない数値の差を残したまま、使われている。両国でもメートル系単位を識った若年層になればなる程、この不合理さ、換算の煩雑さは目につく筈であろう。
アメリカにおけるメートル法普及のキャンペーンを行っている商務省のNIST(国立 標準技術研究所)は2001年に創立100周年を迎えているが、その記念出版物〔資料US〕の中で“メートル法は計測における全地球社会の共通語である”と表現している。同様にイギリスもまたNPL(国立物理学研究所)元所長の表現〔資料UK〕を借りれば「常にEUのメンバー国であることをメートル法移行への実質的な推進力としている」ようである。若年層だけでなくこうした考え方が産業界を含めた、より広い社会的なうねりに育つようになれば静かに、しかし着実に切換達成が近づくことであろう。
地球上の知的経済交流における生活共同体として、重要な構成員であるアメリカ・イギ リスの多くの人々が、慣習的単位ないし王制単位であるヤードポンド系からの離陸を達成し、メートル系に軟着陸できたときにこそ、初めてメートル法普及のロゴにある‘すべての時代に、すべての人々に’が意味を持つことになる。メートル法にとって真の意味でのグローバルな目標の達成と、人類史上始めて共通の度量衡単位を持つという果実が、国境を越えて味わえる日が21世紀の「それから」創まることを楽しみにしておきたい。