since 7/7/2002
横田 俊英
紀州犬を飼う、犬に教わる、犬に幸せをもらう
〜犬を犬らしく成長させるための手助けのために〜 横田俊英ホームページ朝一番はその日の仕事の計画立案
朝起きて一番にすることはその日の仕事の計画の文書を書いて会社に報告することです。仕事の構想立案が朝一番の仕事です。目覚めたら直ぐにパソコンに向かい電子メールをチェックし必要があれば返事をします。何か考えようとしても何も出てこなかった昨夜と違って朝一番には幾つかの考えが浮かんでくることが多いのです。浮かんできた考えをモノにしておかないのはもったいないから、パソコンに向かうのです。
庭に犬がいる、紀州犬の子犬がいる
そうした仕事をしながらも庭にいる犬たちの世話のことが頭をよぎりま。しかし、まずは仕事ということで業務計画その他の文章を書くことを朝一番の仕事としているのです。
仕事場の和室の対面に犬舎があり、そこに親の違う子犬が2頭おります。紀州犬の子犬たちで、一頭は白のオスで生後85日ほどです。もう1頭は黒い色をした胡麻毛のオスで生後50日ほどになります。それぞれ母親と父親が庭にいて、母親とは一緒にしたり離したりして生活させております。紀州犬の子犬と母犬
子犬が生後85日ほどになると母親はかなり手荒い遊びをしかけます。母親が噛むため子犬の背中に赤い血がにじむことがたびたびです。子犬も母親にケンカでもふっかけるように本気で挑みます。うなり声を上げて顔などにもかみついていきますが母親は心得ていて軽くかわし、跳ね返してねじ伏せます。
生後50日ほどの子犬は母親と一緒の犬舎に入れておいてもまだそこまでの手荒い対応はされませんが、オッパイを吸われるときに子犬の鋭い歯が乳首を突き刺すために母親はいやがって子犬に歯をむいたり、ウーとうなって拒絶します。これは乳離れのころにあたるためです。子犬は生後30日ほどから自分で母親と同じ餌を食べられるようになります。親子には安全のため餌を小さくしたりふやかしたりして与えます。庭に出してオシッコをさせる
この子犬たちに排泄のシツケをするために庭に放したてやらなくてはならないのです。ケージに入れっぱなしですとケージのなかで糞尿をすることが慣習化してしまうからです。ケージのなかでお漏らしする前に庭に放してやるのです。そうすると庭で糞をして尿をするようになります。もう訓練が始まっているのです。
2頭の子犬は大げんか
他の子犬がいれば子犬同士を遊ばせてやります。紀州犬の子犬を同時に庭に放しますとまず始めるのは声を挙げての大げんかです。首根っこにかみついたり、耳にかみついたりではらはらしてみていられないほどです。5分もそうしたとっくみあいをしたあとは少し落ち着きやがてグルーミングのようなじゃれあいになります。この5分間を注意深くみていてやることが大事です。大げんかでは耳をかじられてかなりの出血をすることもあります。時に耳の端が割かれることもあるから、2頭の紀州犬の子犬を遊ばせることは冒険でもあります。耳をちぎられたら大変と生後40日ほどで子犬同士を切り離す人もいるほどです。
遊んでいるうちにウトウトと寝てしまう
子犬たちは庭で放して10分もするとそれぞれ好き勝手なことをして遊ぶようになります。ひもや軍手を見つけてきてはそれを奪い合ったりします。勝ち取った軍手を一心にかじっていたりします。思いつくと親犬の犬舎に顔を突っ込んでウーと脅かされたり、舌なめずりして友好を結んだりと忙しくたち振る舞います。餌のおこぼれを拾いに来た雀を見つけては興味を示し飛びかかろうとします。そうこうして遊んでいるうちにウトウトと寝てしまうことがたびたびです。
動物の世界と人間の観念
私は子犬同士できるだけ遊ばせてやることが子犬が犬として成長するのに必要なことのようです。耳を割かれることの危険を承知で遊ばせるのはそのためです。この子犬たちが自分の父親や他のオス犬の犬舎に顔を突っ込みますとワンと言って脅(おど)かされることがあります。下手をするとオス犬や他の母犬にかみ殺されることもあります。ですから大きな冒険なのです。
十分に注意しながら親犬たちの犬舎に顔を突っ込む様子を見てやります。勘の鋭い子犬は危険を察知して危ないと思うと直ぐに顔を引っ込めます。子犬たちは母犬と遊ぶなかで痛い目にも遭わされます。母犬は子犬の首筋に血がにじむほどの手荒な対応をして子犬を仰向けにして押さえ込むのです。仰向けになることは強い相手に対する降伏の姿勢ですから、母犬は子犬にこの行為を何度も行います。この仰向けにして押さえ込むのは子犬への重要な教育なのです。この仰向けになる行為は犬に本能的に備わっているようですが、あまりにも早く親から離されたり、子犬同士で遊ぶ機会が少なかった子犬には、こえができないものがいるといいます。子犬時代に痛いことを教えてやりませんと犬は相手が傷つくまで、そして自分が死ぬまで戦い続けるようになることがあるといいます。そのような犬にしないために子犬には教えてやらなくてはならないことが多いのです。犬が犬であるための訓練を母犬がしているのです。血が出るほどのかみあいをしても子犬同士遊ばせるのもこのためです。動物の世界を単純に人間の世界の観念や常識で推し量ってはならないのです。ある程度まで親犬と子犬同士の遊びの期間を設けるのがよい
紀州犬の子犬たちを何としても人にも犬にもやさしい性格の犬として成長させてやりたいという願いを込めて庭で遊ばせたやっているのです。人によってはできるだけ早くに生後30日前にでも母犬から分離した方がよい、そして人の手で世話をした方がよいという考えを持つようですが、これはローレンツの刷り込み理論を曲解した考え方であるという反論と実証があります。犬の性質は親から引き継がれるものと教育と訓練を受けてできあがるものとがあります。親の性質は子犬に引き継がれることが多いですから大事です。同時に子犬の教育と訓練も大事です。子犬への親犬の教育と訓練を抜きにしては、子犬が犬としての性質を獲得することが難しくなります。人の手で飼育された動物が繁殖などが難しくなるのは理由があってのことです。そうしたことから犬の場合にも、子犬はある程度まで親犬と子犬同士の遊びの期間を設けなくてはなりません。
自己確立犬同士の遊びのなかから
犬には犬の世界があります。植物には植物の世界があります。人の世界の習わしで動物や植物の世界を単純に見てしまうことは、本当のこと、真実に目をつむることになるのです。
庭に放した子犬たちの最初5分間の大げんかだけを見たら、子犬は凄いケンカをするから一緒に遊ばせてはならないという結論を導きかねません、また生後40日にもなると母犬は子犬を血がにじむほど噛むから一緒にしてはならないという結論を導くこともできます。しかし母犬は子犬を殺すこともありませんし、傷つけて方輪にすることもありません。母犬は自分が痛いことも、相手が痛いことも、していいことと悪いことを遊技のなかで教え、子犬は学びます。子犬は子犬同士の遊技のなかで痛いことを学んでいるのです。勝ち方も学びます。負け方も学びます。犬としての自己を確立するために犬同士の遊びのなかから学び育んでいくということなのです。犬が人を救っている
人はなぜ犬を飼うのでしょうか。犬は人のところに寄ってきて一番最初に友となった家畜です。猟や番をする役目をもって人の回りにいた家畜が犬でした。犬は人に従い、人は犬に食糧を与えるという関係ができあがりました。犬に直接に餌を与えなくても犬は人の残り物を食糧としていたんどえす。食うために飼う家畜とか使役目的の家畜がおりますが、人の心に食い込むまでの感情機能をもった家畜であり動物としては犬が最高の存在であるといえます。人に心を開かない人も犬には素直に感情を開くことがあります。感情を押し殺したままで人は生きていくことができませんから、ある人にとって犬は生きることを助けてくれる動物です。これは犬が人を救っているということでもあります。
そのような犬ですから、犬は人を噛んではならないのです。噛ませない犬にするにはどうするかといえば、噛ませないようにしつけることです。そして人を噛まない犬をつくりだすための繁殖の方向をとらなくてはならないのです。