矢野宏 今回の座談会は1970年代から続いていた、あいち計測研究会の年頭座談会が開催できないことから、その代わりとして開くことにした。 私が計量研究所に在籍中、大阪支所、名古屋支所との仕事の関係で名古屋にしばしば出かけた。その時、トヨタ自動車の計測管理システムを立ち上げたといわれる川島吉男さんが、名古屋支所に来られ、そこからトヨタ自動車の計測管理を学んだことから始まった。活動の活発化のため1960年代に計測管理の座談会を始め、これが、あいち計測研究会の基礎となった。ところが、最近の座談会では、能書きばかりいうので、もっと実践などを語れと提案したが、そのような活動ができずに、座談会も中止となった。 本日のテーマのいわれを話す。定義的にいうと、測定は作業であり、計測とは測定の結果を活かすものである。では、品質工学とは何か。ものの考え方を有効に活かす方法、考え方である。そういう意味で「品質工学は計測技術である」とテーマにした。 まずは最初に問題提起してもらう4人を紹介する。鴨下隆志さんは計量研究所で私を非常に支えてくれた。彼自身が計測技術というものを多変量解析法から始まってMTシステムまで持っていったという大きな仕事をした人だ。 田村希志臣さんはコニカ(現コニカミノルタ)の品質工学をつくりあげた人だと私は思っている。会社の評価は必ずしもそうではないかもしれないが、それは会社の理解が悪いからだ。 細井光夫さんは新鋭で一番大きなホラを吹いている人。コマツのなかで関連会社を含めて計測技術を具体的にやっているから私は信用する。能書きでなくてうんと具体的にやっている。 中井功さんは計量研究所の時代から硬さ標準を作るときから一緒にやってきた人で、現実にばらつき±0.1HRCの標準片を仕上げて、アメリカで田口賞をとってきたというのは有名な話だ。現在でもまだ新しい研究をやっている。 そして、司会をしてもらう、吉原均(司会)さんはキヤノンといういい方は嫌らしいので、NMS研究会の名を借りて「国家の興亡」などという大それた研究をやっている。
細井光夫 私も品質工学は計測技術であろうと思っている。それもすごいことを計測してしまう。ということは実際使おうと思うと、それに見合った計測の技術が必要で苦労している。 まずは、品質工学は技術評価の基準である。コマツのなかで進めるに当たってこの点を一番に重視している。それから数理統計ではない。コマツはQCが根付いていて、QCでやった方が良いときもあるが、それとは違う切り口の品質工学がコマツには必要だと思っている。ただし、従来よりもすごいことを計測しようとしているので、最後の成果は計測技術の差になると実感している。 コマツのなかでどのように説明しているのかというと、品質工学は技術の筋の善し悪しを早く安く計測する技術であるといっている。アイデアがないときに直交表を使っても意味がない。直交表で評価する制御因子とは何かといえば、誤差因子に対する対抗手段である。まず誤差因子がしっかりしていて、その誤差因子に対して良いアイデアがあるか、そのアイデアの善し悪しを早く安く計測する。 では、筋の良い技術とは何か。それは加法性のある技術である。加法性があると何が良いかというと、市場で再現しやすい。コマツは実機で確認しないと信用できないという文化が根付いている。というのは、建機が大きくなると思わぬことが起こる。加法性がないものだから小さな建機でうまくいっていたものが大きくした途端にだめになるという歴史がある。それではいけない。加法性がないことをしているから、実機でやらないと信用できないだけで、加法性があれば市場でも再現できるということをめざしている。テストピースやシミュレーションで技術開発が可能になるので、そういった意味では非常に安上がりでムダをしないで済む。 最近の成果としては、KELK(関連会社)では耐久試験をせずに熱電モジュールの寿命を延ばした。ギガフォトン(関連会社)というエキシマレーザーをやっている会社ではシミュレーションだけで寿命を延ばすということを実際にやっていて、パラメータ設計の結果を反映して、寿命試験をしているが、さすが品質工学はすごいと思わせられる。最後に1回は実機による技術評価をやるのだが、直交表実験を実機でやったらエライ目にあう。それをしないで良いというのが品質工学のすごいところだ。
もうひとつ、品質問題を当社はたくさん起こしている。品質を直そうと思ってモグラ叩きになる。皆さんご存じの、1つの問題を解決したと思ったら別の問題が起こって、その問題に手をつけたら、また元の問題の繰り返しなんてことをやっている。それを品質工学でやると一発で終わる。要は、最初から効率・能率を考えている品質工学は非常に実用的でやれば儲かると思うので、コマツのなかで進めている。 QCはコマツのなかでも一生懸命にやっているが、品質工学とQCは何が違うのかといわれる。QCは品質特性を問題にする。問題解決の手法だから仕方のないことである。品質問題が起こったところからスタートするからどうしても品質特性ばかりに目がいく。 違いを一番実感したのはコマツキャステックス(関連会社)の事例である。ガス欠陥という品質問題をやっていた。従来のQCのやり方でずっと解けていなかった。ところが品質工学を持ってきたら非常にうまくいった。その1つの原因は品質特性というのは加法性がない。加法性があるものが良い技術といっているのに評価対象に加法性がなければ技術の善し悪しの評価にまでいかない。さらにひどいのは合格不合格を気にしてしまう。合格不合格の0・1情報で何とかしようとする。そうすると、当然ながら統計に頼らざる得なくなる。情報の欠落を補うにはN増しするしかない。同一条件を何度も繰り返すのは、非常にムダなことである。 それが品質工学になると、合格品のなかにも品質の差があるということで0・1の世界からアナログの世界、情報量の多い世界にいく。しかも直交表を使うことで多種の条件でのN増しをすることになり、結果的に少ない実験の回数で技術の筋の善し悪しを計測できる。 しかし、実際やっていると何が困るかというと、そんなにすごいことを計測するのだから計測が楽なわけがない。統計ではないといったが統計も一種の計測技術だと思う。統計を使うということはできるだけ少ない回数でできるだけ多くの情報を得ようとしているということだと思う。しかしながら、同一条件のN増しが必要になる。たとえば、信用できる工程能力指数を得ようと思うとサンプルが100必要になる。100回できないとなると、せめて30となる。これはムダである。
一方、品質工学を使うと、テストピースとかシミュレーション、特にシミュレーションを使って問題が顕在化する前から善し悪しが判断できる。 ただし、効率よく計測しようというのは簡単ではない。振動問題を一生懸命解いている人達にいわせると、メインの働きを良くしたら結果的に悪さをする振動は減るというが、全エネルギーのなかで振動にいっているエネルギーはほんの一部。コンマ数%。彼らはそれを精度良く測ろうなんて、できるわけがないという。全部のエネルギーを測っても意味がないといわれる。それは、要するに計測技術がまだまだ未熟なのだと思う。 品質工学を本当にうまく活用しようと思うと、実はものすごく計測のレベルを上げないといけない。切削の電力評価にもトライしたが、ワークのなかで削れるのはほんの一部。N増しをしなくて良くて、数が減るのはありがたいが1個1個には高い精度が要求される。しかも、誤差因子は市場に出ると何をするか分からないが、直交表実験では完全にコントロールしないといけない。コントロールできないと、それが計測誤差になってしまう。意外とこれは難しい。 そういうのを全部ひっくるめても、品質工学ははるかに効率が良いと思う。むしろどこに力を入れるべきかが明確になっているので指針としては非常に分かりやすい。つまり多種条件のN増しで如何に少ない実験数でアイデアの善し悪しを早い段階で計測するかというもの。 それでは当社の計測技術はどこまでいっているかというと、まだまだ発展途上。そう考えると、やはりシミュレーションでやっていくのは品質工学にとってすごく良い。コマツで今やっているのはほとんどシミュレーションベースであり、むしろ、シミュレーションができないものは直交表実験しないというような状況である。
田村希志臣 今私が一番気にしているのは「計測誤差による損失は誰が負担しているか」という疑問である。計測には誤差がある、という感覚を持っている人は非常に少ない。計測器が出す値は絶対だと思っている人が非常に多いのが実態だろう。 現在の計測管理に対する疑問ということで2点示す。ひとつは、計測器の校正では抑えきれない誤差による損失にはどう対処したら良いか。もうひとつは、次回の校正までに生じる計測誤差による損失はどう対処したら良いかである。 計測誤差による損失に対して品質工学は「損失関数・SN比・直交表など使えば損失最小の計測管理システムを実現できる」と主張している。ただ実態として、品質工学の看板を掲げて活動している人達が、計測管理システムの損失最少化という実例を出しているかというとまだまだ少ないと思う。特に計測分野では品質工学が正しく理解されていないのかなとさえ思う。そもそも品質工学を取り組む側が計測の本質をどれほど理解できているか。最初に述べた通り、エンジニアには、計測システムは与えられるもので、絶対的なものだとして、そのなかで技術開発をしようと無意識のうちに考えている人が多い。 計測の誤りは、開発現場で様々な問題を引き起こしている。残念ながら計測技術というものは自ら作り出すものだという感覚に乏しい。これがテーマの「品質工学は計測技術である」に絡むのだけれども、品質工学を学び始めた人が出くわす最初の壁である。計測技術は作るものなのだという品質工学の主張に戸惑う。この壁を打ち破れると一気に視界が開けると経験として感じている。 では、従来の計測管理をされていた方はどうかというと、結構変わり始めている。JQA(日本品質保証機構)が発する資料(JQA MiX Magazine)を見ると、計測器の校正方法としてこういうやり方が好ましいと書いてある。1つめは「損失関数を用いた校正周期を決定する」。2つめは「JIS9090を用いて校正周期を決定する」。3つめは、いわゆるSQCの世界、国際文書に決められた校正周期の決定方法を用いる。このいずれかを推奨するといった表記になっている。従来の計測管理屋の意識も徐々に変わってきていて、そのキーワードが損失関数である。突き詰めていうと、計測による損失の最小化を皆がめざしている。そこで言葉が一致して品質工学が浸透していくのではないかと考えている。
鴨下隆志 私が計量研究所にいたときはどんなことをやってきたかというと、ちょっと変わっていて、人の触覚である。人間には五感があるといわれているが、味覚、聴覚、嗅覚、視覚の4つは受容器と用語が1対1になっている。ところが、触覚というのはそれを除いたすべてと定義づけられているために非常に曖昧なものである。 最初は硬さ試験、やすりで金属の硬さを人間の感覚で測る。ここまでいくと完全に官能検査の世界に入っていく。限界ゲージを使ってプラスチックの内径を測る場合1μm飛びのゲージを100本くらい作ると、内径測定ができる。そのときにはもちろん誤差が入る。そうした人間の感覚の違いが発生し、個人差なのだけれども何なのだろうと考える。 硬さで切れ味が測れないかという、岐阜県の地場産業から矢野宏先生のところに問題が持ち込まれた。それは触覚だろう。何とかしろと。そうすると切れ味試験機みたいなものを作って、切れ味と様々の刃物の計測特性とを調べた。また、人が切れ味を測るとはどういう感覚を使って測るのかとかを探った。そうすると官能検査の世界だから多変量解析の世界に漬かることになった。だんだんやっていくうちに多変量解析だけではできないことがたくさんあると気付いて、遅ればせながら品質工学を勉強しだした。 計量研究所は国家標準を作る研究機関だから、キログラム原器を使って、1kgを正確に測って供給したり維持したりする。1kgは10のマイナス7乗とか8乗くらいの精度で供給できるが、感覚量の世界になると10のマイナス2乗くらいの精度しか出せない。
計測にはいろいろと関わってきたのだけれども、今日の資料に書いてあるのは田口玄一先生が計測に対してどんなことを考えていたのかというのを探してきたうちのひとつである。 品質工学学会誌の2000年の号に出ているのだが、「科学技術の発展の70%は計測技術の発展によるといわれている」。ここで問題なのは、「計測がうまくできても直接品質改善できるわけではない」「だけれども計測ができなければ品質改善はできない」これもまた事実である。 品質を改善するというのはその場その場の技術であって、一種の固有技術とも関わってくる。計測法というのは戦略であるとも位置付けられているが、この計測法というのは未来永劫に役立つ汎用技術であると位置付けられている。だから、非常に計測は大変なのだが、その割には理解されないというか、どちらかというと影に回っていると思われる。 よくパラメータ設計をやると計測誤差が大きくて結局うまくいかない、ではその前に計測システムの最適化からやろうということも実際にはいわれているわけだが、そういうことで、計測がうまくおこなわれていればパラメータ設計もうまくいく。確認実験で再現性が取れない時の主な原因の1つとして計測誤差の影響があるということも指摘されている。計測は非常に重要なのだけれどもなかなか理解されない。
これも田口先生のところから引いてきたものだが、『標準化と品質管理』の1967年に、世のなかで正確な予測・診断・判定を様々な形でやっている。たとえば今日はちょっと調子が悪いなといったときには体温を測ってみて、平熱より少し高い、これは病気かもしれない、風邪かもしれない、病院へいくかもしれない、調子悪いから会社休むかもしれない、そういうような測定とか、予測・診断がおこなわれる。こういうようななかには予測・診断・判定の誤りというものが当然出てくるわけで、そのために損失が発生する。この問題に対しては、田口先生は少し具体的に「がんにならないためにはどうするか?」とか「嫁を選定ミスしたときには?」などを例示していた。 では一番良いのは、「予測・診断・判定の必要ないそういう社会をつくる」のだというわけだが、実際なかなかそうもいかない。 最近のことでいうと、2014年9月27日御嶽山が噴火した。それによって命が奪われた。それを予測できたはずだという話と予測はできないという話と2つある。気象庁は予測できないというが、別の専門家は、「その10数日前に1日に50数回とか80数回も地震があったのだから、それは予兆ではないか」という人もいる。そういったことを手掛かりに予測ができるかどうか、あるいは誤って予測をするとどうか、そうしたことが問題になってくる。 「予測ができない、あるいは不経済なときには、安くて誤りの少ない予測・診断・判定方法を考えよう」と田口先生はいっているが、これは1967年の発言であるのでMTシステムができる遥か前である。MTシステムを田口先生が具体的に考えたのは1970年代後半になってからだと思うが、それよりもずっと前にそういうことを既にいっている。 さらに「そのような誤りが起きたとしても」、たとえば噴火しても、「そのような損失が最も小さくなるような処置の方法を考える」こと、だから事前にシェルターのようなものができていればこのような被害が少なくなると考えられる。一番大事なのは、予測だとずっと考えている。 一番真面目に予測をやっているのは矢野宏先生と早川幸弘さんの地震の予測だけだと思うが、できるかできないかよりも、やらなければ先に進まないという問題があると思う。計測といっても、ただ単なる誤差の問題だけではなく、予測に繋がる計測ができると有効になると思う。
中井功 はじめは日本軸受検査協会で軸受の輸出検査に従事していた。ところが、その輸出検査のなかで、硬さ試験という検査項目があるが、規格値が62±2HRCと定められていた。ところが、ベアリングメーカー各社は自分のところで基準値を持っていた。それに基づいて検査せざるを得なかった。各社とも全部規格には合格していると主張していた。それで、様々な問題があってこれを統一しようと問題提議をして、計量研究所に技術指導を受けた。当時、計量研究所は国家標準を定めていたので。その後、国鉄が新幹線用のベアリングについては計量研究所の標準を採用した。ベアリングメーカーは新幹線用にはその標準を使うけれども、その他のベアリングについては従来のままであった。これを、統一しようと考えた。 計量研究所の技術指導を受けて、設備も計量研究所の硬さ研究室とほぼ同等のものを補助金を活用して導入して、ベアリングメーカーに対して統一の説得をいった。ところが、さまざまな抵抗があってなかなか実施できなかった。最終的には統一されたが、統一に至るまではおよそ10年の期間がかかった。 それに至るまで私が考えたのは、力関係でベアリングメーカーと話をしてもだめなので、硬さ標準を使った硬さ試験機の校正のあり方を研究してそれを示そうと思い、計量研究所と共同研究をおこなった。それが、「硬さ標準のトレーサビリティを評価する基準に関する研究」であった。これは2つの内容があって、「計測性能の評価システムの確立」と、「最適校正周期による管理システムの確立」であった。 計測性能の評価システムとは、硬さ試験機の価値が高いとはどういうことか、価値論から考えた。するとメーカーの立場の価値とユーザーの立場の価値とは全然違うということになって、ユーザーの立場で考えようということになって、そこに損失関数を使った評価基準というものを作った。最適校正周期の決め方とは、当時は、周期分析といわれる測定値のドリフト量の大小によって評価するシステムであって、ベアリングメーカーの各社の管理システムと新たにわれわれが提案したものを損失関数で比較した。それをベアリングメーカーに説明したが、その内容については、ほとんど理解はされなかった。最終的には統一ということが実現した。
それで、次に始めたのが硬さ標準片の熱処理技術の開発と、変形プロセス試験による研究であった。硬さ標準片の熱処理技術というのはほとんど確立されていなかった。計量研究所を代行して硬さ標準片を供給する場合は、硬さ試験機で値をうつすということが要求されるので、試験片のばらつきが小さいことが要求される。しかし、そういう技術開発はおこなわれていなかった。 1980年から大阪の技術レベルが高いといわれる熱処理の専業メーカーと共同して開発を進めた。その開発は結果的には8年かかった。8年かかってパラメータ設計をおこなってそれなりのばらつきが実現したけれども、試作ということになったときに全然使い物にならなかった。おそらくパラメータ設計でいわれた熱処理条件ではないもので、自分のところは専門家だから簡単だということで、従来の自分の条件でやっただろうと思う。このときはパラメータ設計のはしりの時だったと思う。そういうときにアサヒ技研の前社長の川旗敏弘さんが協力してくれて、自分のところでやるということになって、約1年半の開発期間でばらつきが0・1HRCという品質の硬さ標準片が実現した。
硬さ標準片の硬さという品質特性によるもので0.1HRCというばらつきを実現したが、これを強度という観点で見た場合は、必ずしも硬さだけでは十分ではない。硬さというのは順序量であって加法性がない。そういうことで、押込み変形プロセスということを評価すれば、技術としての加法性が評価できるのではないかと考えて取り組んできた。さらに現在は、これを引っ張り試験の領域まで拡大して研究している最中である。 このような自分の体験を通していえることは、いわゆる研究のための実験であろうと、品質保証のための実験であろうとデータを求めるところからスタートする。そのときには計測目的というものがあるはずで、それを実現する計測・測定を選択して、そのための計測技術を活用することになる。しかし、計測というのは従来まで検査と同一と見なされてきて、計測をいうということは検査をいうことと考えられてきた。計測器というのは計量法やISOやJIS規格に制約されるということからその方法でいわれなくてはならないという認識があって、その背景には検査に合格すればよいという思想が支配している。 技術開発であれ検査であれ、そこには必要な機能があるはずであり、その目的を実現するためには従来からの計測技術の固定観念を打ち破る自由な発想が必要である。品質工学はそれに風穴を開けるものだと考えている。したがって品質工学は評価を品質特性でなく、SN比や損失関数によっておこない、従来の計測技術を発展させたものと位置づけられる。そこには何の違和感もない。しかし、計測器メーカーや計測に関わる方々からは、そうした認識が持っていないように感じられて、品質工学を活用した新たな機能の計測器機を開発したという報告は極めて少ない。これは計測というのは計量法や様々な規格に保護されているという認識が、そこにあるのではないだろうか。計測には極めて大きな問題が存在している。
矢野宏 今の中井功さんの話でなかなかベアリングメーカーは乗ってくれないというけれど、メーカーが乗る前に協会自体の検査が、そこのメーカーにいった試験機でやるから全部合格であるのは当たり前。きちんとした基準を持ってやっていなかった。要するに検査がいい加減なのであって、検査協会も共犯なわけである。 中井功 協会自身には各メーカーから派遣されてきた人が役員としてやっている。内部ではなかなか改善できない。それが、私は新たに入った者だから手を付けられた。 矢野宏 定年になった役員が天下ってくるから、メーカーが損になるようなことはしない。中井功さんが入ってきて、けしからんといったから彼は干されたのだ。 中井功 品質工学をやったら出世できないという話の典型的な例であった。外部と接触したことから、新たな視点が見えてきたことによって、協会の上からの考えをまともに聞けなかったということであった。 矢野宏 世のなかで生きていくには、上に合わせる方がまともということになる。 吉原均(司会) まずは細井光夫さん、中井功さんの発表に対してコメントを頂きたい。
細井光夫 真の値にできるだけ近いものを求めたいというのが計測だけれども、そうすると基準との比較というのが絶対出てくる。その基準自体がいい加減という事実は素人からすると衝撃的で、見えない損失があったのではないかと心配になる。結局は計測がいい加減だと過剰品質にするしかない。事故を起こしてはいけないので、過剰品質にしてムダが生まれる。ムダが嫌いな私としては、何ともったいないというか、逆に宝の山があるのかと思う。中井功さんのような方が地道に活動してくれているのが、ある意味、社会の損失ということには良い。品質工学というのは、ムダをなくすというのがすごく好き。 吉原均(司会) やはり計測の良し悪しが損失の大きさを左右するわけだ。 田村希志臣 中井功さんの話に絡めていうと、企業間や顧客とメーカーなど利害が一致しないなかで統一を図るのは相当難しい。コニカミノルタでは品質工学を活用して社内では色々な計測技術を開発していて、社内で使っている。社内的には開発と生産の間で統一を図った事例はいくらでもある。トナー帯電量測定、粒子の形状測定、紙の剛度測定などは外部発表もしている。 先ほど、企業間では難しいとは言ったが、メーカーと顧客の間にまたがって品質工学を使って標準計測方式を決定した例もある。写真用ゼラチン試験法合同審議会という業界団体があるのだが、そのなかでPAGI法と呼ばれる写真用ゼラチンの試験方法を最適化するにあたって、コニカミノルタ(当時はコニカ)が音頭を取り、ゼラチンメーカー3社とゼラチンを購入するユーザー3社が集まって品質工学によるパラメータ設計を実施し、計測方式を決定した事例がある。L18直交表実験を6社それぞれ3実験ずつ手分けして結果を出した。画期的な取り組みだったと思う。2005年に品質工学発表賞で金賞を受賞した。 吉原均(司会) ゼラチンメーカーの品質が安定したのか? 田村希志臣 格段に安定した。検査が正しくできるようになった。
中井功 結局、統計はものができてからでないとできない。われわれはものができる前にどう作るべきか、ということで計測が必要。それは極めて大きな違い。結局は、検査に合格したらよいという思想が根強く残っている。これを打破しない限り進まないと思う。私は研究をしてこれを打破しようと取り組んだが、結局はできなかった。ものすごく反対が強い。それを破らないことには一歩も進まないというのが実感だ。 細井光夫 検査に合格すればよいというのは確かに根強い。開発したときに社内試験を色々やるが、ギリギリだろうが何だろうがOKであればそのまま出してしまう。社内ではギリギリ検査合格で市場に出した。ところが、明らかにそれが原因と思われる不具合が市場で出ることがある。 われわれの発想からしたらそれはマージンが全然ないので、そもそも元の技術が悪いのではないかと思うが、そこのところの意見が食い違う。検査に合格したから自分の担当はクリアなのだと。現実に市場で問題が起こっているのに自分はOKなのだという。信じられない。 吉原均(司会) それはよくある話で、最近出たiPhone6がそう。Appleのコメントは、普通に使っていれば曲がらないというものだった。まさにその発想。社内では合格としたのだろうが市場に影響している。ズボンのポケットに入れていたら曲がってしまうとか、液晶が割れてしまうとか実際に起こっている。これからApple社は大きな損失を被るのではないかと予測している。 これを変えるには検査に合格すればよいという思想を変えるよりも、その検査とは何かというところを変えるとか、市場が認める検査基準みたいな視点に、検査の位置づけを変えられないだろうか。
中島建夫 計測と評価が混乱してしまう。計測技術と評価技術とが、細井光夫さんの発表でも最初は、今まで品質工学は技術の筋を評価するといっていた。でも計測すると書いてある。とすると計測すると評価するは同じことなのか。論文を書くときも評価すると書くべきか計測すると書くべきか。結構悩む。端的なイメージは「計測する」の方が「評価する」よりちょっと下のランクのイメージ。東亜合成では、技術を開発するということは計測技術・評価技術の開発である。新しいことをやるとなったら。結局、新しい機能を作るのだから、新しい機能をどうやって測るかということになる。 今、中井功さんがいっていたように「計測=検査」というのは、たぶん検査担当者での話だと思う。技術者全般にしてみれば「計測=評価」というイメージかなと。まさに品質工学のパラメータ設計は後の話の単なる作業で、品質工学でやっていることは皆、評価技術をやっていると思う。 中井功 検査担当者だけの話ではないと思う。結局、評価するというのは計測した結果で評価をするというわけである。計測がいい加減だったら評価しても意味がない。 吉原均(司会) 計測と評価はどういう関係なのかと考えさせられる。 中島建夫 吉原均さんのやっているローマクラブの研究も多次元を評価するという人もいるし、計測するという言葉を使う人もいる。 吉原均(司会) 私もいまそういう疑問があって、中垣保孝さんか窪田葉子さんに、ご自身の研究で計測と評価をどう考えているのかを聞きたい。2人ともそういうことについて悩むテーマを扱っているのではないかと思う。中垣保孝さんはマーケティング問題でどう思うか。 中垣保孝 計測というのはデータを取るための手段であり、評価とはその計測データを有用な情報に活用していくプロセスそのものだと考えている。 吉原均(司会) 最終的に製品・商品企画に対してマーケティングで評価して、方向性なり方針を活かしたいという研究になるのか。 中垣保孝 そうである。評価をいうためには、何らかの手段でデータを計測する必要がある。つまり、評価と計測は密接に関係しており、計測は自分がどのように評価したいかというところが入り口だと考えている。中井功さんが言うように計測には目的があると言っている点が同じである。 私のアンケートの事例では、立案したコンセプトを市場からの反応という基準で評価したかったため、アンケートという手段で計測をいい、情報を取得した。田村希志臣さんが言うように、計測できないモノは自分達で計測方法をつくる必要がある領域も存在すると思うが、まだその領域までは自分は踏み込めていない。
吉原均(司会) 中井功さんが、すごいことをいうなと思っていた。価値論から考えて、それでその価値を高めるために何をすべきか、というところからテーマを紐解いている。そうすると、アンケートの価値を高めるにはどうするかということを考えないといけないと感じる。窪田葉子さんの方は世のなかの化学物質に対して、簡単に危険性が分からないという立場で悩んでいる。今みたいな計測と評価というのを、その立場からするとどのように考えているか。 窪田葉子 自分のやっていたものは、確かに全体としての危なさを計測しているというかも知れないけれども、計測という言葉で考えたことはなく、あくまでも全体としてどれくらいかを評価するという印象でいた。逆に計測というものに関しては、元々やっていた環境プラントの仕事では、ともかく基準が第一なので、むしろ検査というべきだろうが、基準の合否評価のために計測している。 矢野宏 もともと、英語でいったらmeasurementで計測も測定も区別はない。ところが、日本ではどういうわけかわかれてしまったのは、1つは、東京大学のなかに計測工学科というのができた。そのところで先生達が自分達の権威付けで計測という言葉を後から作ったというように考えた方がよい。Instrumentationという変な英語を使っている。誰も使っていないような英語をいうだけ。どちらかというと物理計測。 だから当然、窪田葉子さんの化学計測では、まさに化学分析だから、計測なんてことはない。測定というのは作業で、計測は測定結果の有効活用というわけだ。評価というともう少し、社会現象だとか人間の感覚だとかよりソフトのものを含んでいる。計測というのは逆に狭い。それを今、われわれが少し拡げてしまっているから混乱している。あまり議論しても意味がない。 齋藤之男 いう通りだと思う。要するに、私の福祉とか医療分野だと、本来測定である。ところが、いわゆる科学の分野として位置付けられる見方がある。それは、たとえばCTスキャンというやり方でもって見えないものが見えるようになった。そこには何ら評価など必要ない。見れてどうだと。だから、私がときたま困るのは、要するに技術という場合に、評価は必ず必要であると位置づけると、計測は作らなければならず、作った以上、装置の良し悪しを必ず評価しなければならない。私が今やっている福祉関係は、要するに、参考になるような装置はまったくないから装置の評価が重要になる。ところが、もう1つ言わせてもらうと、大学で教えている計測技術の本が非常に多い。その本で、私も教えていたが、試験がやりづらい。要するに、中身はほとんど整理されていない。バラバラに縦割りになっている。これで試験をやると皆、四苦八苦で大変。 要は、私は品質工学が的を射た方法であると思う。計測は科学でなくて技術である。技術である以上は必ず、評価をしなければならない。これは重要なことだが、新しい装置を作って測定した場合に、どういうようなパラメータを評価対象にするかについて私はいつも悩んでしまう。それが決め難い。どれが本当の的を射たものかと。品質工学の直交表を作る前の問題。測定の対象をどれに決めたらよいのだろうかと。 田村希志臣 それは測定値の問題と標準定義の問題と両方か。 齋藤之男 両方。基準化で田村さんがいったような点に関しては、企業ではまさに進んできた。 窪田葉子 話を聞いていても、何を測るか一番大変そうな感じであった。 齋藤之男 何を測るかが非常にわかりにくい分野である。ものをつくる前に何を測るかというのをある程度想定はする。ただ作っていくうちに、果たして最初に考えていた目標に合っているかというのも、考え方に差がでてくる。結局、それで作ったその装置は目標に近く、自分で納得している。そこが難しいところ。 中島建夫 やはり機能を測るということになるからだろう。測れるものでやってしまう。ついつい。 齋藤之男 それが普通である。
中井功 押込み変形試験は、硬さ標準の校正に使っている標準試験機という精度の高い試験機を使ってやっている。それを変形量が取れるように改造してやっている。ときどき変な値が出る。そこでメーカーに検討してもらおうとしたが、硬さ試験機として販売しているのだから硬さ試験がおかしかったら対応するが、それ以外は対応しないという。たぶん、そのなかに使われている電子部品の安定性が問題なのではないかと思うが、ユーザーと一緒に考えてみるという姿勢を期待している。そういうことは一切、形式的な判断だ。 矢野宏 要するにわれわれの硬さ試験は何かというと、荷重があって、押込み深さがあって、硬さというのは押して戻ってきたときの残留変形量を硬さとして表示する。ところがこんなことをやらなくても、押込み量と荷重の線形性が安定すればよいというのを中井功さんはやっている。これが安定すれば硬さも安定するとやったが、別のものを測っているからだめとメーカーはいう。 中井功 少なくとも、それはどういうものかと一緒になって検討して欲しい。 矢野宏 プロセスをうまく測れなかったら、硬さだってうまく測れないはずだ。 窪田葉子 それはつまり測定器の使い方がおかしいとして対応しないということか。 細井光夫 硬さの値は保証するが、それ以外は見ないということか。 中井功 硬さ試験以外のことをやっているから保証しない。 細井光夫 要は、差分だけが硬さとしてのデータということか。 矢野宏 私はとにかくプロセスを測れと。引張試験も同じで引張荷重に対する延びを測れと。この破断荷重など測っても仕方がない、という。しかしそういうことをやっているとだめといわれる。
中井功 引張試験機でも荷重を校正しているだけ。試験機によって違うのではないかということがある。 矢野宏 試験片をチャックすると滑るが、皆は適当にどこら辺から始めたとして破断荷重を測っている。だから引張試験の値はものすごくいい加減。それで強度だといっているから笑ってしまう。 細井光夫 会社のなかではそれを信じてやってしまうことがたくさんある。 吉原均(司会) 硬さは連続量ではなく順序量だと話していたが、では、順序量だと思って、その数値を基に何かを評価しても意味がないかもしれないということか。 中井功 だから50HRCと60HRCとの違いと20HRCと30HRCとの違いは等しくない。 吉原均(司会) そんなことを現場はわかっているかと思うと、全然わかっていないと思う。 細井光夫 コマツは金属ものを作っていて、大きな塊が対象である。トラブルは、割れた、ひびが入ったという世界。割れたりひびが入ったりすると困るので一所懸命試験をする。割れるということ自体がすごく確率現象である。要するに、素性が良いか悪いかという話と、実際どこで割れたかという相関はあるが、割れるのを一所懸命測ったらものが良いかどうか判断できるかというと、実はできないと思っている。 N=1でどこまで保って割れましたというのに対して、みんなそこで壊れるかというとそんなことない。ばらつくわけだから、割れるということに着目して、それが嫌だからそれを測ろうと思った途端に統計になってえらく大変になる。 そうではなくて、そもそも筋の良さを割れる、割れないではないところで測ることが必要だと思う。今のところ、それは全然認められてはいない。
吉原均(司会) 常田聡さん、今仕事でも悩んでいるところではないか。 常田聡 つい最近の話。新しい物を作ったときは必ず新しい測定方法がなくてはならないといつも実感している。平たい丸板で、それまでは鋼材から削って作っていたが、安くしたいから鋳物で作った。丸い板はある精度が必要なのだが、直径1300mmの板のそりを測る手段がない。以前は平面研削でやっていたのを、今度は普通の旋盤で削って表面の粗さをそこそこに仕上げるということをやっている。図面は平面度とか平行度とか書いてあるが、実際には測れない。 どのような意図で図面に謳っているのかと聞いても、精度が必要だからというだけ。精度が必要とはどういう意味かとさらに聞くと、厚みが一定になって欲しいとのことだった。実態は凸凹のはずだから、どうやって測るかという話になり、1時間くらいああでもないこうでもないと議論し、やっぱり測れないとなった。それならマイクロメーターで外周付近の厚みを何点か測って、あとは加工の工程のなかで保証してやろうとなった。 結局、測定の技術がない、評価もどうすればよいかわからない。検査するといっても合否判定もなかなか難しいというのが現状。 細井光夫 当社も全く同じ状況。品質管理でえらく困っている。 常田聡 鋳物なので、加工後に反ったり反らなかったりするが、おそらく荒削りの段階で歪みはもう出てしまっている可能性は高い。何年か経って変形するかもしれないが、それを証明するのはどうしたらよいか難しい。最終手段は削った後にまた炉に入れて出してみるかとかいろいろやったらよいのではないかと考えるが、やったらやったでもっとよくなるかも知れないが、測れないし評価できない。結局、検査もうまくできない。たかが平らなものを平らに削るだけなのに、という状況である。 細井光夫 当社も全く同じような部品を持っている。鉄板が複数枚層になっていて、普段は動いていて、圧力がかかるとくっつくものだが、必要な面精度を精度よく測れない。 常田聡 3次元測定機で測ろうかと羊羹噛ませてもその時点で曲がっている。
細井光夫 結局どうするかといったら、クラッチだから、曲がっていても何でも、クラッチがスムーズに動けばよいのだから、そっちの働きで測れとなる。1個1個が測れず分からなくても、働きの方が分かれば、その方が明確になる。 常田聡 当社は、最後は機械に載せて機械的な精度が出ているとか、平行度がきちんと出ていて金型が平らに閉まればよいとか考えている。 細井光夫 結局、厚みが均一だったらよい。 常田聡 奥から手前まで厚みを測れる手段があると、評価できるのではないかと思う。 田村希志臣 測る場で値が出ても、実際使う場でどうかというのはまた別の問題。 常田聡 測ろうと思った時の姿勢が問題なので、測ったからどうなのかというのはまたよくわからない。 細井光夫 部品メーカーでもそれを保証しろとかいわれるから大変。作っているところは最後のでき上がりという機能で評価できるから楽だが。 田村希志臣 以前から矢野宏先生がよく例に出すように、柔らかい樹脂部品の寸法をどうやって測るのかという問題と同じだ。 細井光夫 当社は全く一緒で、寸法が出ていればそれでいいのかという世界であると思う。何かに使うのだから、使うのに困らなければ精度出ていようが出ていまいが関係ない。
橘鷹伴幸 設計の立場からいうと、管理できないものを図面に書いてしまうというのはどうなのかと思う。 常田聡 伝統的な書き方だから疑問に思っていないと思う。 橘鷹伴幸 そこに疑問を提示してあげて、求めている精度というのはどういう働きをするのかということを、やはり考えてやらないといけないと思う。 田村希志臣 CADなんて使えば図面はパパッと書けてしまう。 橘鷹伴幸 形状はできてしまうが、本当に平面度とか面粗度というところはCADでは書けないところ。部品を作ってくれる仕入先さんの測れる測り方を協議したうえで、かつそれがちゃんと機能を満たすものかというところを繋げて図面に書かなければいけない。 かつて、ギヤトレインの設計していたときに壁にぶち当たったことがあって、弊社内の規格を開示できるメーカーに作ってもらっていたが、海外に出たときに、系列でもなんでもないところと取引をすることになって、そうすると、方法を開示できないし、その方法をやっているかと聞くこともできない。では、全部図面に書くかとなって、1枚目は形状を描いた図面で、2枚目は計測方法を全部書いて、それでわれわれの求めるギヤのノイズとかクリアできるものになったかと、そういうことをやったことがある。 やっぱり、弊社の考え方で、細井光夫さんには異を唱えるところだが、最後に機能で保証しようという考え方は設計者としては絶対持ってはいけない。自分の部品のなかで完結させるという自工程完結という文化がある。 細井光夫 コマツはそこまで技術力がないのと、建機は結果オーライでいいやという考え方もある。たとえば、鋳物が多い。鋳物なんて思った通りどうせできない。だったら最後の機能に問題ないところは手を抜こうと考える。実際の組立の現場の方がコマツは強くて、図面書いたってこんなものできないというものでも結構やっている。お客様に迷惑をかけなければ、意味のないところを磨いても仕方ないというところがある。そういう風につくらないと儲からないという現状もある。 車の場合はいろいろな方が使う。ほんのちょっとしたトラブルでも大騒ぎになり、リコールになる。建機の場合、運転手は基本的にはプロであり、多少問題がある機械でもプロが使いこなせばよい。さらにいうと、お客様によって全然使い方が違う。車はそれほど変わらない。少なくとも道路を走る。ファミリーカーで、四駆で走るようなところにはいかない。四駆で走るようなところにいきたければそういう車でいく。カテゴリーが違う。飛ばしたい人はスポーツカーを買うし、カテゴリーが細分化されているが、建機は皆同じ恰好をしている。使い方が丁寧なお客さんのところは絶対壊れない。しかし、使い方が激しいお客さんのところにいくと何を作っても壊れるときは壊れる。どうするかというと、壊れたらごめんなさいをする。それがよいかどうかわからないが、それをずっとやってきたのが建機の業界で、今ではそれを品質工学でもうちょっとスマートにやろうとしている。 とにかく出して壊れているのを見ていて、壊れている数が少なければ放っている。壊れる数が増えてくると手を打つというやり方をしているけれども、今後はもう少し賢くやりたい。一個一個の対策にはそんなに金を掛けてられない。 吉原均(司会) 今の議論は部分最適と全体最適はどうなのかという戦いに思えた。システムとして全体最適することでノイズを克服して商品にする。それで儲かればよいと考えれば、細井光夫さんサイドになる。確かに自工程完結も非常に大事な要素で、橘鷹伴幸さんは設計として部分最適とならない自工程完結の在り方を主張した。どのやり方をどう選択するかというのは何を持って決めるのだろか、難しい問題だ。
矢野宏 結局、企業の立場によって変わる。中小企業は、親企業から要求されてくる。親企業は勝手な要求を出してくるわけである。たとえば、平面度をちゃんと出せとか。測れても測れなくても、図面には書けるから書くわけである。今度、中小企業の人は、それを測ろうと思ったら測れないからどうしようと、公的機関に相談に来て、どうしてそんなものを測らないといけないのかと聞くと、親企業がいっているから仕方なくやっているという。 結局そういうところを逆にいうと、いった方はとにかくいったものがちゃんと来たのだから、今度は機能で問題なければよいということになる。そこら辺で、計測技術の使われ方が変わる。 吉原均(司会) そういうところに損失が発生するわけである。田村希志臣さんの細部から見る計測の損失であり、中井功さんの大局から見る計測の損失に通じているのだと思う。 矢野宏 だから計測は社会学だというのはそういう意味である。力関係で決まってしまう。本当の物理学で決まっている、化学で決まっているわけではない。最後は力関係。 細井光夫 そういった意味ではトヨタは強いのだと思う。トヨタは強くてベンダーに「持って来い」といえば、いうことを聞くと思うが、コマツがいったら「できません」と断られてしまう。 吉原均(司会) トヨタは強いだけでなく、高く買う。そういう意味では全体最適をやっている。 常田聡 少し元に戻るような話だが、検査とか評価とかの目的があって計測技術がある。今、私は設計にいるが、前は品質保証にいて、部品の検査部門にもいた。ずっと検査するときに皆にいっていたのは、これは田口先生に教わった話だが、「検査の目的は検査をなくすこと」といい続けた。自分達のところで検査してすべて合格だったらムダな検査だったことになり、不合格だと市場に出なかったからよかったということになる。 しかし、図面の要求通りにならず不合格でも本当に使えないのかわからない世界でずっと検査をやってきた。それで、検査の仕事なんてほとんどムダではないかと感じ、考えたのは、皆で加工先にいって、検査という名目で向こうの検査員とよくコミュニケーション取って、向こうの検査のレベルを上げて、われわれの検査をどんどん辞めようという活動をした。向こうにいって加工のばらつきをなくすようなわれわれの検査としてのやり方を、測定してばらついているとか向こうの人と話して、検査を辞めることを目的にした。 細井光夫 それは社会的損失でいったら、誰が検査しているかが変わるだけではないかと思ってしまう。 常田聡 もともと出荷検査はある。だから検査員の質をあげましょうというポイント。どうせ検査しなければいけないのだから。 細井光夫 その検査もなくすのはできないのか。 常田聡 加工と検査では現場ではなかなか難しい。 矢野宏 常田聡さんの話は、加工屋が良い加工できるようなことを一緒にやろうというのだったらよいと思う。
細井光夫 たとえば、コマツでは、加工機の工具の寿命予測でMTシステムを使っている。わかってきたのは、だんだん刃物が摩耗してくるとMTの距離が出てくるのだが、距離が短いところは加工品質が良い。MTでずっと距離を見張っていて、工具がそろそろやばいぞという交換のタイミングを見つけようと思っている。その範囲内で加工している限りは全部良品であるはず。だから加工品質は測らなくてもよい。そういうことが他にもできると思う。 常田聡 やっていくとそこに繋がる。相手の検査員とああでもないこうでもないというと、向こうの検査員も考える。自分達の検査の手間が増えるのは嫌なので、加工にフィードバックする。 細井光夫 次に狙っているのが、厚物溶接である。溶接の電力波形を見ると、そこにいろいろな欠陥が現れる。欠陥が出ると、波形が乱れる。今、現状では溶接した後、全数検査している。表面から見えないから、なかに欠陥が入っているかどうか超音波探傷で検査する。しかし、溶接の電力波形を見張っておけば、欠陥がありそうなところはわかるはず。そこだけ検査するようにすれば、検査は減らせるはず。品質工学を使えば検査レスも可能だと思う。 常田聡 検査で一番バカ臭いのは検査するという行為が膨大な輸送コストをともなう。それでそれをなくすためにやっていくと、組立などダイレクトにものが流れる。そのコストやものの運んでいる滞留時間はものすごく減って、そのコストはバカにならない。検査をなくすとこんなにムダがなくなるのかと実感している。 近藤芳昭 私も同じ話を聞いたことがある。品質検査という行為は大きなコスト発生になる。どうやれば検査を減らして品質を確保できるかは大きなテーマである。たとえばコピー画質なら、既定のテスト条件に機械を設定する工数はもとより、印刷の色の出方やムラの悪さ加減などの測定工数、そして良し悪しの基準をどうするかの規定づくりの工数など、一連のシステムとして考えると、莫大な損失となる。また、市場でクレームが出た際は、問題の程度の確認や基準を見直す議論が生じるし、必要に応じて市場機改修をいう場合もある。さらに損失は大きくなる。損失のある部分は、会社と顧客の間で期待とのギャップが少なければよい話なのだが、それはそれで企画の品質という別の課題になり、難しさがある。
細井光夫 検査というのはどちらかというとメーカーの都合。検査でどこかに線を引かないと、出荷できるものと、できないものを切り分けられない。 近藤芳昭 検査というのはやはり膨大な工数をつぎ込む。それをなるべくなくしたいという希望もある。ではどこまでのレベルを保証するかという議論がいつもある。そこをうまいこと機能を使って品質工学で、働きで保証できないかと進めている。 中島建夫 画像は働き、すなわち機能と違うのか。おたくでやるのと顧客でやるのとで違うという話か。 近藤芳昭 そこをどう表現するのかという難しさがある。 塩入一希 何か問題が起きたときに、どうしても顧客と自社で責任の境界線を引かなければならない場面がある。弊社では多くの会社と同じように出荷検査があるが、検査記録があれば弊社の責任が軽くなるという事実がある。問題が起こっているとき、こちらの顧客への一部の検査をしていなかった場合は弊社の責任が重く、同じ問題が別の顧客先で起こっていても、その検査の記録があれば弊社の責任がゼロになる場合すらある。検査の記録以外に違いがあるのかわからない。 田村希志臣 それはあらかじめ取引の基準として取り交わした範囲の値が出ているから、それはメーカー側のせいではないというわけか。 塩入一希 そして、検査した値が、そこで起こっている問題との因果関係が見えにくいものでも、お客さんは納得してくれる。 田村希志臣 検査値は入っているねとなるわけだ。 塩入一希 検査してあるから、使い方が悪かったのかなと納得してくれるお客さんもいる。 細井光夫 良いお客さんだ。 塩入一希 もちろん、何やってもだめというお客さんもいる。それでも検査したという事実が大事になっているので、なかなか計測のところを考えてくれというのは難しい。 近藤芳昭 中井功さんが硬さ標準で経験されたような、ベアリング業界各社で基準を独自に設定していたという話は、他の業界にもあるのではないだろうか。 細井光夫 そう考えるとベアリングは恐ろしい。標準ができたからよいものの、その前はどんな状態だったのだろうか。
中井功 だからベアリング工業会は、計量研究所と東京大学に基準の設定を依頼した。そのベアリング工業会が硬さの基準を設定しようと考えたのは、ある自動車メーカーが硬さ基準を示されて、これに合致しないベアリングは納入させないといったそうだ。それで、ベアリングメーカー自身に危機意識があったから、統一しようとなった。 東京大学は国内にある何台かの試験機の平均値で標準を作ろうとした。それに対して、計量研究所は硬さの定義に基づく要素をきちんと押さえれば自然と標準になるはずだと考えており、両者の思想は全然違っていた。それに関して計量研究所と東京大学の論争が始まった。 今、新たな問題としてシャルピー衝撃試験機の標準をどうするかという問題が起きている。そうするとISO規格で5台の平均値を標準にしようとしているということである。それで日本にはどうも5台もないから3台でということを考えている。何台であろうと時間が経過してそのうち1カ所おかしくなったら、どうなるのか。非常にレベルが低い。日本だけに限らず国際的にそういうことを考えているようだ。標準の問題というのはあらゆるところに影響するのにそういう認識である。
坂本雅基 常田聡さんの板が測れないという話があったが、やはり、測れないものをどうやったら測れるかということを考える機会がけっこうあるなと思う。私も研究をやっていて小さすぎて測れないとか、柔らかすぎて測れないとかしょっちゅう出てきて、その度にいき詰まっている。精度を高めて測るというやり方もあるし、機能で測るというのもあるし、どれが一番良いのかと、今思いながら聞いている。実際には、測れないときは代わりの特性で測っている。良いかどうかではなくしかたないからやっている。最後は細井光夫さん方式で、最終製品の品質で確かめたりしている。でも、それをやっていると効率が悪い。 細井光夫 その特性が働きに本質的だったら当然測るべきなのだろうけれど、働きから考えて関係ない特性であれば、測っても意味がない。使っている材料にばらつきが結構ある。そのような大きなばらつきを抱えたなかで、一所懸命測っても、結果がばらつくに決まっている。それも考慮に入れたうえで、設計で何とかするという考えもある。それでもだめなものはごめんなさいという。 坂本雅基 品質工学は測れないものをどうやって測るかという、計測技術の作り方を教えてくれていると思う。 細井光夫 特に耐久性である。耐久性は品質工学の発想がなければ、ひたすら壊しまくるしかない。しかもばらつくので試験結果を信用できない。
矢野宏 感覚的なものを測れないかということで鴨下隆志さんは多変量解析を始めた。あれはどういう経緯だったか。 鴨下隆志 要するに人間は必ず判断する。しかもそれは総合判断で個別の特性を測れるわけではない。でも、結果として2つの品物を比較すればこちらが切れるとかこちらが良いとか評価できる。多変量評価は何かと見ていると、多くの場合3つの判断基準が出てきて、評価特性、力量性と活動性である。個々の対象というのは、その3軸のなかのどこかに位置付けられる。それで違いが出てくる。問題は、それは何に影響しているのかというところにいきつかない。結局、これはこういう特性を持っているから好まれるとか、これから流行りそうだとか、そういうことになる。 計量研究所として官能検査のところでできたのは、機械的、あるいは電気的な性質と対応付けができたからであって、少し独特の位置づけがあった。職人の世界は加法性のない特性を扱っているのだから、いわゆるエキスパートやベテランという人が重宝される。これからは技術の伝承がうまくいかないとどこかで問題が生じると思う。 矢野宏 多変量解析からMTシステムに移った理由は何であるか。 鴨下隆志 多変量解析の一番の欠点は、次元の縮小といわれる。たとえば、官能量でも機械量で何十特性も測るが、最終的には3軸程度に持っていく。2軸の場合も5軸の場合もあるが、だいたい3軸に持っていくと、人間が判断できる。それ以上になると、直感的に人間が判断できないので、立体のなかで製品を位置づけする。だけど、そういう軸に落としてしまうと、ものづくりができなくなる。 要するに、次元が落とされてしまっているから。元の特性に戻って、どこを改善すれば良いかになってこない。MTシステムは次元の縮小をいわないので、いつでも元の特性に戻って、改善できる。そこが最大の違いである。 矢野宏 多変量の人はものづくりという意識はまるでなかった。 坂本雅基 応答局面も3軸とかにまとめているが、あれも同じなのか。 鴨下隆志 山の高さの良いところを探そうとやっており、あれとは少し違うかもしれないが、絵で見えるような形に持っていくのはわかりやすい。 中島建夫 多変量解析は科学である。品質工学は技術で、それで何かしようという時には手段のところとつながりが作れないと結局使えない。 常田聡 田村希志臣さんがいうように、損失云々にいってしまうが、測定できるかできないかは経済の話だと思う。一所懸命、お金をかけて測ってどうするのというレベルのものか、それを測らなければその先製品としてやっていくときにも、実際、検査とか技術があって測らなくてよいならばよいが、測らなければいけない、検査しなければいけない時に、その手段が経済性に見合ったものかどうかがポイントになる。
鴨下隆志 意外に、ΔとかΔ0とかは楽である。つまり、許容差というのは決まっていると思うが、その許容差の根拠というのは意外と薄弱である。それと、検査というのは、これはやってはいけないことだが、一度不合格になって、もう1回測ると合格してしまう。そういうことは結構ある。必ず誤差があるから、いつかは合格してしまう。そういうことを意図的にやる人もいる。 細井光夫 当社がまさにそうだが、計測器が信用できない。誤報を出すので、1回測ってだめなら、実はもう1回測る。 矢野宏 検査機関で不合格になると、一度建物の周りをまわってもう1回入ってやると合格という話はいくらでもあった。 細井光夫 それは検査装置自体がレベルが低い。 矢野宏 それでも検査の人達は威張っている。合格しなければだめだと。
矢野宏 昔のトヨタは計測がすごかった。今はだめだと思うが、橘鷹伴幸さんは見てきただろう。計測器の校正の部屋の話をしてほしい。 橘鷹伴幸 トレーサビリティをすごく大事にしているというのを初めて知った。国家標準の原器から持ってきた形で、これはここで保証されたものだとすべて紐付できている。それぞれのも求められる特性に合わせて、部屋の湿度や温度をランク付けして、それを実現できるようにしている設備で、トヨタのすべての計器を管理している。 矢野宏 規模も大きいと思う。 橘鷹伴幸 大きさでいうと、この座談会の部屋の2.5倍くらいの面積で、ちょっとした講堂の大きさだ。しっかりお金を掛けてやらなければならない検査は、お金を掛けた形の設備を整えている。それに含まれないものは通常の室温で管理されて、精度を保証している。 見れば見る程計測とは何を測っているのかとわからなくなり、計測すらも信じられなくなるという話もあったが、何を正とするかということを考えて、結果的に測ったもののばらつきなんかをしっかり議論できるようにして、損失をなくすようなところに繋がっていると感じた。
矢野宏 今の話を聞いていて、最初の4人の意見は皆すごいことをいった。あれがきちんとまともにしたら結構問題は解決する。4人の人にこれから1人ずつ連載してもらったら面白い。これだけでは、まだ具体的なことがわからない。 吉原均(司会) ではまとめに。最初に鴨下隆志さんが話したことと、みなさんが議論のなかで具体的な問題点を指摘してもらったが、話題は「正確な予測・診断・判定が困難な場合、さまざまな損失が生じる」。ここにみなさんの話が紐づいていたと思った。どうやら、結論は鴨下隆志さんが用意していた。そういう意味で今日の議論のまとめを鴨下隆志さんにお願いする。 鴨下隆志 計測とは、すべての基本。それがなければ成り立たない。そこがいい加減だと、今いったみたいに、検査の問題でもいろいろあるだろう。そこで矢野宏先生は最終的に、機能寸法というのを提案した。柔らかくて測れない、輪ゴムのようなものの直径をどうやって定義するのかといったときに、機能として寸法を評価することはできないかということである。パラメータ設計でいえば基本機能を測りなさいというが、基本機能が直接測れる測定器があるとは限らないわけだから、やはり、それにあった測定器を開発するということが中心になると思う。それができないときには、もちろん、代用特性で測るということもあるかもしれないが、測定は予測であるというところに重きを置きたい。 つまり、工程で作られた製品が、次工程でうまく働くか、あるいはそれらが組みあがった製品が市場にいってうまく働くかどうかということを、予測しなければならない。そうしたことがうまくできれば、損失が減るのではないかと思う。田口先生はこのなかではもっと面白いことをいっていて、「工程でうまい製品ができないときには市場においてクレームが出るでしょう、クレームができたときは、そのクレームにうまく対処することができれば、その人はそのメーカーのファンになるでしょう」。つまり、クレームだって対応次第ではうまく生かせるのだということも書いてある。そのフォローの仕方も大切だと思うが、基本はクレームなんて出ない方がよい。かといって、あまりにもよいものを作り過ぎて値段が高くなっても市場で売れないという問題が起こるだろうから、ΔとΔ0の関係が必要になってくると思う。 (おわり)